千葉の未来を切り開く。熊谷俊人千葉市長にお話しを伺いました。
11月11日(水)、雲一つない気持ちの良い秋晴れの朝でした。
定刻の午前10:30。
「おはようございます」
戸外の爽やかな空気を感じさせる快活な一声と共に、熊谷俊人千葉市長が現れました。
背筋がピンと伸び、よく通る声。細身の体躯と物腰柔らかな所作からは泰然自若という言葉が思い浮かびます。
やはり3期連続、年数にして11年もの間、政令指定都市の首長という大きな責任を担ってきた人物であることを裏付ける空気がその場に漂っていました。
※本インタビューは、開始前に関係者全員検温を行い、終始マスク着用の元実施されました。
「千の葉をつなぐ幹となれ」史上最年少市長となった11年前から現在に至るまで。熊谷俊人さんの千葉への思い
——11月2日、来春行われる千葉県知事選挙への出馬を正式に表明されました。市政から県政へ、権限や責任範囲が大きくなります。県知事選に臨む思いを聞かせてください。
「千葉県には、ある意味日本の縮図があると思っています。県北西部や千葉市などの都市部以外にも、銚子や南房総といった観光名所や水産資源、農産物に恵まれた地域など、一つの県に色んなものがギュッと詰まっている。地域ごとに特性が異なり、それぞれに戦略が必要です。千葉は広い。様々なことが全部体験出来る、挑戦出来ることにやりがいを感じられると思います」(熊谷俊人千葉市長 ※以下、「 」内は全て熊谷市長談)
「政令指定都市は、ほとんど自分たちで出来る特殊な行政体です。例えば道路整備などは県が行わず、市の役割分担になります。実務的な仕事の7〜8割は、千葉市の範囲で経験してきていますが、県の立場になると仕事のスタイルが様変わりすると予想しています。各市町村とコミュニケーションを図り、国と調整しながら広域行政体としてどう成果を出していくかが重要になってきます」
——今年9月に出版された熊谷さんの著書『千の葉をつなぐ幹となれ 千葉市長10年を紐解く』には、千葉県における半島性の克服についてご自身のお考えを述べられています。
『神奈川は東京都と西日本をつなぐ大動脈、埼玉は東京と東北・北陸をつなぐ大動脈に位置するのに対し、千葉県は半島であり、唯一その先に何もないどん詰まりの県です』(出展:『千の葉をつなぐ幹となれ 千葉市長10年を紐解く』P166〜167からの抜粋)
引用:熊谷俊人公式Webサイト(『千の葉をつなぐ幹となれ』ご購入のご案内)
「はい。千葉は東京、神奈川、埼玉とは明らかに違います。一都二県とは異なるマーケティングやブランド戦略をするべきです。先ほど述べたように、県の市町村・国との調整をしながら広域行政体として成果を出していくために、ビジョンを明確にし、千葉県の可能性を引き出していきたいと考えています」
——11年前、現役最年少市長に選出された31歳の頃と42歳になった現在を比べて、熊谷さんから見えている景色は変わりましたか?
「私たち千葉市の内部は、チャレンジする経験値の数が、他自治体よりもはるかに多いと自負しています。何でも私がやっているように見えるかもしれませんが、実は千葉市の職員が作り上げた優れた政策が数多くあります。どういうミッションを出して、どのようなプロセスで職員が仕上げていくか。また、行政の得意、不得意を見極めて、どのタイミングで民間を入れていくか。官民の連携も含め、行政の能力をどうやって引き出していくかを11年間の経験で学ばせていただきました」
なるほど。「細かいことはあまり口出ししない」と言われる熊谷さんからは、リーダーシップを発揮する場面とボトムアップで職員の創意工夫を促すなど、バランス良いマネジメントを行っていることがうかがえます。
昨年の大型台風被害、そして世界中を襲ったコロナ禍。未曾有の危機に立ち向かうリーダーシップの背景にあるもの
——今年はコロナ禍で世界中がかつてない試練を経験しています。国が迅速に有効な策を打ち出せない中、ドイツのメルケル首相や大阪府の吉村知事、北海道の鈴木知事など”自らの言葉”で語るリーダーたちの活躍が人々に勇気と安心をもたらしたように思えます。
「私は、自分の言葉で喋るけれども、それは同時にチームの共有事項を発しているとも言えます。安倍前総理からの一斉休校要請があった時も限られた時間で教育委員会の方々に入っていただき、庁内で揉んでこれで行こう!となった内容を発したに過ぎません。発言の前に庁内で出来るかどうか、それはいつまでに出来るのか、スケジュール確認を取った上で実施しています。先に言葉ありきで、チームの中に話しが落ち切っていない議題を首長の判断だけで発してしまうのは、よろしくありません」
2019年、千葉県は幾度も大型台風の直撃に見舞われ、甚大な被害を受けました。
この時千葉市の動きが極めて迅速で、前例に囚われないものであったことは記憶に新しいです。
1995年1月、阪神淡路大震災が起きた時、当時高校生だった熊谷さんは兵庫県で被災者となっています。
自身もポリタンクを持って自衛隊の給水車との往復を何度も繰り返した経験があり、ライフラインが途絶えた時に人が感じる恐怖心と疲労感はよく分かると言います。
——昨年、千葉県を襲った台風被害の際に取られた決断や対策などは、かつての阪神淡路大震災での原体験が活きていますか?
「あの時(阪神淡路大震災)の混乱は、今でも自分の中に焼き付いています。ただ、昨年の台風被害での対策や様々な対応の一つ一つは、私の能力というよりは、ご経験された方々の生の声をいただいた結果だと思っています。一人の人間てそんなにスーパーマンには成れないですよ。実践のトライアンドエラーの蓄積をどのように活かしていくか。これに尽きると思います」
「行政、政治の仕事で一番大事なことは、人々の命と暮らしを守ることです。千葉以外の他の地域で不幸にも災害が起きてしまった時、私はもしこれが千葉で起きてしまったらどう動くべきか、常にシミュレーションしています。災害対応が、地域の皆さんの命と暮らしを守ることに直結するのならば、優先度を上げるのは必然的なことです」
首長の重責を担う中、家族と過ごす大切な時間。仕事と家庭のバランスを取る秘訣とは?
——立ち入ったお話しで恐縮ですが、ご自宅は市役所から歩いて行ける場所にあると聞きました。
「歩いて登庁出来る場所を自宅に選びました。加えて比較的災害リスクの低い場所でもあります。以前、休暇で南房総へ家族旅行していた時に台風と重なり、常に天気情報をチェックしながら、妻に”こうなったら俺だけでも帰るから”と前もって伝えておきました。段々と風雨が強くなっていき、夜中に起きて妻と話し、早朝に宿泊施設をチェックアウトしました。急いで千葉市に戻ってきてしばらくすると、警報が発令されました。直ぐに市役所へ登庁し、対策任務に当たることができました」
——多忙で責任の重い日々を過ごされる中、熊谷さんにとってご家族はどのような存在でしょうか?
「土日に公務が入ることが多いので、そこに一緒に居られないのは、申し訳ないな・・・と思います。ただ、意外と東京にお勤めのサラリーマンの方々と同じぐらいは、子どもと向き合う時間は取れているはずです。平日夜、予定がなければ家族と一緒に晩ご飯を食べてからおしゃべりしたり、稀に17時ぐらいで仕事を上がれたら、子どもの習い事のお迎えに行ったりもしてます。大切なのはスケジュールをどうやってやり繰りするかで、この点は本市の秘書課にもだいぶ助けられています」
現在、小学校3年生と2年生の二児の父親でもある熊谷さんは、回数にすると100回以上は保育園の送迎を行い、時には保護者会にも出席しています。
熊谷さん出席の保護者会、何やら緊張してしまいそうです…(笑)
市川市は東京から千葉県への玄関口。ここから更に千葉の奥地へ行ってもらうための魅力ある街作りを
最後に市川にゅ〜すの地元である市川市について思うことや熊谷さんご自身が経験されたエピソードなどを伺いました。
「市川は、幼少の頃からよく行きましたよ。かつて、市川真間に親戚が住んでましてね。会社員時代(*1)の後輩も住んでますし、以前は、市川の隣市である浦安市に住んでいましたから。私にとって市川は何かと縁のある街なんです」
(*1:熊谷さんは千葉市議になる以前、NTTコミュニケーションズ株式会社に勤務する会社員でした。)
——この先、千葉県知事となった暁には、市川市もお仕事の範囲に加わります。市川市にどのような役割を果たしてもらいたいか、あるいは実施したい施策などはありますか?
「市川の利点は、文化面で蓄積のある街、そして何より便利な場所に位置していることです。千葉光行元市長とはかつて行政面で交流があり、市川市が進めているデジタル行政やIT推進化には大変興味がありました。現在の村越市長も同じくデジタル化、IT化を推し進めておられます。この点は県の行政の中でも参考にしたいところです」
——江戸川を越えると直ぐ東京都という市川市の人々には、千葉県民という意識が薄い市民の方もいるような気がします。熊谷県政からはどのようなことを発信していきたいですか?
「ご承知の通り市川市は、東京から千葉県への玄関口に当たります。ここ市川から更に千葉の奥まで行ってもらえるような魅力ある街作り、そして市川に住む方々には、”千葉県の”市川市とアイデンティティを感じてもらえるような街作りに取り組みたいです。歴史や下町文化の好きな私にとって、市川市は散歩していて楽しい街です」
「千葉県は漁業、農産物の収穫が豊富で、東京都の隣県として都市部の機能もありつつ、自然や緑豊かである点をもっともっとPRしていきたい。カントリー志向がこれからの千葉が生きる道だと思っています」
インタビューも残り数分に差し掛かったところ。
熊谷さんの表情がマスク越しに一瞬和らいだ気がしました。
ゆっくりと椅子の背もたれに寄りかかり、頭の後ろに手を組んだ熊谷俊人さん。インタビューを開始して初めて目にする光景です。
「市川と言えば梨ですよね?梨!!市川・・・、海も河も緑もあって、縦長で・・・面白い場所だよなぁ・・・」
これからの計画で何か思いついたことがあったのか?
あるいは自身の来し方行く末に思いを巡らせていたのか?
人々の英知を結集する
そのシャープな身体からは想像出来ないほど、胸の内には強い信念とタフネスを備えている。
何より千葉という地域とそこに住む人々の生活をいつも真剣に考えている。
僅か30分のお話しでしたが、千の葉をつなぐ太い幹に成り得る人物であることが十分に伺えました。
この単独インタビューを行うにあたり事前取材で、熊谷さんは折に触れて『英知』という言葉を用いることが分かりました。
メディアを通じて、人々の英知を結集したいと主張する若きリーダーと「人間ひとりはそんなにスーパーマンにはなれない」と発する目の前のその人。
まるでレンズの焦点がピタリと合うかのようにその二者が重なり、くっきりと筆者の目に映りました。
そして最後に残していただいた一言が印象的です。
「共に千葉の未来を切り開いて行きましょう!」
ライター:u1ro
- 2020/12/02
- ヒト